ある家が火事で燃えさかる炎で包まれていました。その中から子どもの「たすけてー!」と言う叫び声が聞こえてきました。その中に飛び込んでいくことは死を意味します。その子どもを助けてあげたいと皆思いましたが、誰もそこに飛び込んで行くことはできませんでした。しかしただ1人消防隊員の静止を振り切って火の中に飛び込もうとしている男性がいました。そこにいた誰もがその男性こそ、その子のお父さんであることがすぐに分かりました。
世界に多くの宗教、そして神々と呼ばれるものが存在しますが、同じ方法でどの神様が人類を救うことができる本当の神様か見分けることができます。
神様がご存在されるならば、滅びようとしている人を見過ごしにする事は絶対におできになりません。
人は自分自身の罪の問題を解決できず、一生涯死の恐怖につながれた存在です。それで「四」が「死」を思い起こさせると言うだけの理由で、四号室、四階がなかったりします。罪の刑罰である時刻が怖いからです。
そこで聖書の神はご自身の御子を処女マリアを通して人間とならせてこの世界に送ってくださり十字架に掛けて、私たちの身代わりに罪の罰を受けさせてくださいました。神の御子イエス・キリスト様は、私たちを救うために、十字架で死んで下さいました。ここにまことの愛があります。そしてまことの救いがあります。
そして、神様は、イエス・キリスト様の十字架と復活を聖書に記し、世界中の全ての人が救いを受けることができるようにしてくださったのです。
聖書こそが唯一の神様の言葉です。
宗教も、それぞれに道徳的な良いことを教えるでしょうが、教えだけでは燃えさかる地獄の炎から救うことは出来ません。罪人に必要なのは、机上の理論ではなく、実際的な救いのみわざです。