神のひとり子がなぜ?

「罪のない生涯」「誰も行うことの出来ない奇跡」「死者の中からの復活」を見たときに、主イエス様は本当に神の御子であられると分かります。


では、神のひとり子であるお方が、なぜ十字架刑で死なれたのですか?


神は、愛です。ですから、神は罪人を救いたいと願われたのです。しかし同時に、神は正しい方です。不正な政治家のように、いくらかの物を受け取って、罪を見逃すようなことはできません。神は、どんな小さな罪をも裁かれます。

では誰か罪の無い人が、身代わりに神のさばきを受ければ良いかというと、この世界のどこを探しても罪の無いいのちは見つかりません。聖人君子とよばれる人にも罪はあります。また仮に罪の無い人がいたとしても、その命は一人の罪人の身代わりにしかなりません。

そこで、神のひとり子であるイエス様が人となって十字架にかかってくださったのです。 神が人となられたのですから、そのいのちは聖く、またその価値は無限大です。御子イエス様は、そのいのちを、私たち罪人の代わりに父なる神様に差し出して、私たちの身代わりに裁きを受けてくださいました。十字架の上で、私たちの罪の清算は終わりました。イエス様は「完了した」と宣言されました。

いわば私たちの払いきれない借金を、主イエス様が一括で完全に支払ってくださったようなものです。あとは、支払い済みの証書を自分の手にすることだけです。そして、その両手に釘の傷跡のある復活された主イエス様こそ、その支払い済みの証書です。

神は、罪の清算を十字架ですでに終えられ、全ての人に無代価の救いを提供しておられるのです。


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