正しい裁き 

この「裁き」というタイトルに、あなたは多少の違和感を覚えたかもしれません。というのも多くの人は、神とは「愛」「憐れみ」「寛大」に富むお方で、人間とこの世界に平安と祝福を与えて下さるというイメージを持っているからです。確かに唯一の本当の神はそのようなお方です。しかし神は同時に完全に正しく聖いお方ですので、悪や罪を忌み嫌い必ず裁かれます。

日本にも裁きの場である裁判所があります。そこでは、裁判官が法に則って犯罪者を裁いています。仮に、警察もなく、裁判所も刑務所もないならば、私たちの住む町は悪者たちのやりたい放題の無法地帯となり、安心して外出すらできなくなるでしょう。罪に対して刑罰が常に執行されていて初めて、私たちは社会生活を営み、家族と愛し合う平和な生活を持てるのです。罪人である私たち人間が、正義を尊び、罪に対する裁きが執行されるべきだと考えているのですから、ましてや天地創造の神が完全な正しさと聖さによって悪を罰し、公義を行われるのは当然です。

たとえばある人が賃貸アパートに住んでいたとします。ところがその人が家主の許可なく部屋を作り替え、夜中に騒音を出し続け、さらに家賃も滞納したために家主から注意されそれでも反省するどころかかえって反抗的になるなら、家主は必ず怒り、その人との契約を解除し、強制的に追い出してしまうでしょう。

私たち人間が住んでいるこの地球、また太陽や宇宙は人間が造ったのではありません。天地を創造された神がご存在されます。その神が私たち人間をも造り生かしておられるのです。私たちは決して地球の保有者ではなく、いわば賃借人なのです。それにもかかわらず、人間が造り主である神の主権を認めないことは不敬虔で、自分の好き勝手な生き方をすることは不義です。これを聖書は罪と呼んでいます。神はこの罪を激しく憎み非常な怒りをもって裁かれます。


「不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」(ローマ一章十八節)


聖書ははっきりと、神がこの世界を裁く時が来ると警告しています。しかし、あなたにとってもっと重要なのは、神があなたを裁く時を定めておられることです。


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