「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。」(エペソ二章八節~九節)
聖書は私たちの救いが行いによらず、信仰によると明確に語っています。なぜなら主イエス様が十字架の上で私たちの罪の問題を完全に解決して下さったからです。もし救いにお金が必要であれば貧しい人は救われません。救いに行いが必要であれば今にも死のうとしている人は救われません。しかし、神様は全ての人に救いのチャンスを与えるために「信じるだけ」という最も簡単な救いを用意して下さったのです。
信仰とは受け取る手のようなものです。何かを受け取る時、手は空っぽでないといけません。自分の善良さや努力、奉仕などによって神様に認めてもらおうとする人は「私たちはみな、汚れた者のようになり、その義はみな、不潔な衣のようです。」(イザヤ六十四章六節)ということを知らなくてはなりません。不潔な衣を握りしめているなら救いを受け取ることは出来ません。