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死のウイルス
コロナウイルスのニュースを目にしない日はありません。今までもMERS、エボラ出血熱、鳥インフルエンザ、SARSなど数年に一度大きな病気が問題になってきました。他にも多くのウイルスは存在します。しかしなぜ、これらのウイルスが特に恐れられているのでしょうか。それは、それらのウイルスが私たちに死ぬ危険をもたらすからです。つまり、人々はみな死を恐れているということです。では、なぜ死が人に恐怖を与えるのでしょうか。このことについて、皆さまもぜひ考えてみてください。なぜならば、あなたも死を避けることができないからです。必ず死ぬのです。
何を拝むのか
ほとんどの人は、何か拝むものを持っています。それは、人は何かを拝むべきであると同意していることを示しています。しかし、何でもかんでも、拝んで良いわけではありません。金が欲しい、あるいは病気を治して欲しいという人間の要求に答えてくれるものを、何でも拝むことは、大きな誤りです。なぜなら、悪魔は、偶像を使って人を騙すからです。真の神ならば、人間には解決できない死の問題を解決し、死の恐怖から解放することができるはずです。
神がご存在されます
さて、空を見てください。夜には多くの星が光り、昼には太陽が輝いています。野には緑の木々があり、草が花を咲かせ、鳥は空を飛び、動物が生きています。これら全ては、神なしに、偶然にできたものではありません。偶然では、割り箸一本でもできません。まして、木の葉一枚でもできません。全ての植物、動物は、造り主である神の存在を証明しています。
罪は裁かれます
ここで、もう一度、なぜ人が死を恐れるのかを考えてみましょう。その理由は、「死後には何かがある。何か悪いことがある」という予感が皆にあるからです。すなわち、全ての人は、無意識のうちに、神の存在を知っているのです。そして、自分がその神に対して正しい関係を持っていないことを意識しているので、その神の前に立つことができないことを認めているのです。確かにその予感は正しいのです。私たちの良心は、私たちが神の前に正しくないことを明らかにしています。聖書はこのことについて何と語っているでしょうか。
すべての人は、罪を犯した
新約聖書ローマ人への手紙三章二三節
義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。
新約聖書ローマ人への手紙三章一〇節
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。
新約聖書ヘブル人への手紙九章二七節
全ての人は、神の前に罪人です。神は義であり、聖です。神は罪をさばかれます。ですから、神に対し敵対したまま死ぬ人は全て、地獄において、罪のさばきを永遠に受けなければなりません。ですから人は、死が恐ろしいのです。
神様の救い
しかし、真の神は、私たちを愛しておられるので、私たちのために、この地獄に行かずに、永遠の神の国に入る道を備えてくださいました。今から、およそ二〇〇〇年前、ユダヤのエルサレム郊外に、十字架が立てられました。その十字架の上に、イエスという人が釘付けにされたのです。この方が、何か重罪を犯したからでしょうか。そうではありません。この方に全く罪はありませんでした。しかし罪のない方が十字架で裁きを受けて下さったのです。イエス・キリストは、処女を通してこの世界にこられた神の御子です。その目的は、十字架の上で私たちの罪を全て御身に負い、私たちの身代わりとなって、罪のさばきを受けるためでした。そして、罪人のための救いの業を成し遂げて、死後三日目に、永遠に死の力を打ち破って、復活されたのです。このことにより、イエス・キリストこそ、真の神が私たちのために遣わされた救い主であること、またこの救い主を信じる者に神が罪の赦しを与え、永遠に天国で生きることを許してくださることが明らかにされたのです。神は全ての人に次のように宣言されました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
新約聖書ヨハネの福音書3章16節
ここに、私たちのための、罪の赦し、死の恐怖からの解放、喜び、平安があります。さらに死後天国に入り、永遠に生きる道があります。この救いを得るためには金も不要、難行苦行も不要、また何の資格も要りません。必要なのは、自分の罪を心から認め、真の神に立ち返り、真心から主イエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れる信仰のみです。皆さまの前に、救いが備えられています。天国への門が開かれています。そして、神は皆さまを愛の御手をもって招いておられます。神の招きに答えてください。