偶像とは木や石または金などの金属で形作った像のことで、それらを神仏として拝むことを偶像礼拝といいます。日本には八百万の神々として、仏像、観音像、地蔵、こま犬などあらゆる形の偶像があります。それらを拝むことは良いことだと教えられて、実践してきた方もいるでしょう。しかし、この冊子を通して、偶像を拝むことの虚しさ、またそれが罪深い行為であること、さらにその恐ろしい結末を知っていただきたいと思います。
まず、明らかなことは、偶像は人の手によって造られた物だということです。聖書に偶像について次のように語られています。
「木で細工する者は測り縄で測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の立派な姿に仕上げて、神殿に安置する。杉の木を切り、うばめ樫や樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。・・・それは人間のために薪になり、人はその一部を取って暖を取り、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、これを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。半分を火に燃やし、その半分の上で肉を食べ、肉をあぶって満腹する。また、温まって、『ああ、温まった。炎が見える』と言う。その残りで神を造って自分の偶像とし、ひれ伏してそれを拝み、こう祈る。『私を救ってください。あなたは私の神だから』と。」(イザヤ四四章一三節~一七節)
偶像は元々一本の木でした。それが林から切り出され、ある部分は薪となり、調理や暖房に使われ、またある部分は彫刻され偶像となり、神仏となって人を救うというのです。
ただの木切れに、人を救う力などあろうはずがありません。そもそも、人間によって造られた時点で、偶像の存在が人間以下であることを物語っています。皆さまもよくお考えになってみてください。