十字架についての預言と成就

イザヤ書53章の預言 (B.C.700年頃) 預言の成就 (A.D.30年頃)
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。(3節) それから、総督の兵士たちはイエスを総督官邸の中に連れて行き、イエスの周りに全部隊を集めた。そしてイエスが着ていた物を脱がして、緋色のマントを着せた。それから彼らは茨で冠を編んでイエスの頭に置き、右手に葦の棒を持たせた。そしてイエスの前にひざまずき、「ユダヤ人の王様、万歳」と言って、からかった。またイエスに唾をかけ、葦の棒を取り上げて頭を叩いた。(マタイ27章:27~30節)
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。(4節) イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。(マタイ8章:16~17節)
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。(5節) キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。(第一ペテロ2章:24節)
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。(6節) あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。(第一ペテロ2章25節)
彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。(7節) しかし、祭司長たちや長老たちが訴えている間は、何もお答えにならなかった。そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにも、あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。」それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。(マタイ27節12節~14節)

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