罪の結果

人が神様を無視し、自分の欲望に従って生きた結果、悲しい出来事が繰り返されています。聖書はこう語っています。

「彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。」(ローマ一章二八~三一節)

「神様がいるならどうしてこんなひどい出来事を放っておくんだ」と文句を言う人がいます。しかし、それは人間が神様を無視した結果です。戦争による殺し合いも人間たちの欲望の結果です。罪は人間に悲劇をもたらすのです。

さらに罪の結果、人間は死後に神様の前に立ち、生きていた時の行いに従ってさばきを受けなければなりません。

「また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。・・・いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録二〇章一二~一五節)

罪のさばきの場所である火の池とは地獄のことです。そこは死ぬこともなく、永遠に火で焼かれて苦しみを受ける場所です。

このように罪は何一つ良いものをもたらしません。私たちから幸せを奪い、絶望を与えるのです。


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