人はなぜ偶像を造るのか


交通事故に遭いたくない   → 交通安全の神
学歴を手に入れたい   → 学問の神
無事に出産したい   → 安産の神
金持ちになりたい   → 商売繁盛の神
いい人と結婚したい   → 縁結びの神

といった具合にです。人は、他にもカラオケ地蔵やら性欲の神やら、ありとあらゆる欲望を満たしたいがための神々を造ってきました、つまり、人は自分の利益と欲望の追及のために神々を造り出しては拝んできたのです。人の欲望の数だけ神々が存在するというわけです。極めて人間中心な罪深い考え方です。神のために人が存在するのではなく、人のために神が存在しているという考え方ですから、やはり神よりも人の方が上に立っているのです。本当の神は決してそのような方ではありません。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主です。」(使徒一七章二四節)


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