偶像礼拝の本質  ー悪魔礼拝ー

聖書は偶像礼拝の本質を暴露しています。


「偶像に献げた肉に何か意味があるとか、偶像に何か意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。」(第一コリント一〇章一九節~二〇節)



悪魔はもともと御使いのかしらであったのですが、傲慢になり「いと高き方(神)のようになろう」と言って堕落し、神に敵対する者になりました。悪霊はその手下どもです。その悪魔が望んでいる最大のことは「自分も神のようにあがめられ礼拝される」ことです。そこで悪魔が用いる手段が「偶像礼拝」です。悪魔は、肉体の癒し、富、名声などの人々の一時的な欲求を満たす力を持っています。しかし、悪魔は、決して人間の幸せなど考えてはいません。悪魔は、人々の心を神から引き離すために自分の力を使います。「まことの神なんて信じると、神に従わなくてはならないぞ。窮屈になるぞ。神とは人間の欲望のために存在するんだ。神なんかに縛られるな」と騙しごとを言ってきます。そして悪魔は、ほとんどの人間が悪魔礼拝を直接には行わないことを知っているので、宗教という形をとるのです。ですから、偶像礼拝の本質は悪魔礼拝です。

もし人が、悪魔に欺かれたまま偶像礼拝をやめないならば、悪魔のために用意された地獄に、悪魔とともに行かなくてはなりません。

悪魔のこの恐ろしい詐欺にだまされないでください。


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