造り主から離れた人生の空しさ

作られた物には、作り手の意図と目的が必ずあるものです。人は、創造主である神様によって造られました。ですから人が「人生ってなんだろう」「何のために生きているのだろう」と考えるのはそのためです。人には神様によって備えられた、生きる意味と目的があるのです。ところが、人は神様から離れると、自分のやりたいことが出来ることが幸せで、自分の欲望を満たすために人は生きているのだと考えるようになるのです。




やりたいことを全てやってみた有名人がいます。ソロモンの財宝で有名なあのイスラエルの王ソロモンです。ソロモンはあるときに、人間にとって何が最も幸せなことかを知ろうと、人が欲することを全てやってみました。事業を成功させ、富を築き、豪邸を建て、また植物学者になり、さらに書物を著しました。また多くのしもべを持ち、専属の音楽隊も抱えました。多くの妻や側女も手に入れ楽しむだけ楽しみました。その結論が次のことばです。

「見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。」(伝道者の書一章十四節)

ソロモンは、欲しただけの金、銀、財宝、名声、学業、女などを手に入れましたが、それらは彼の心を完全に満足させることはできなかったのです。

ソロモンは最後にこう語りました。

「あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。」(伝道者の書十二章一節)

神様は私たちに知性と意志と感情を与えてくださり、神様と交わる能力も備えてくださいました。私たちが生まれてきたのは、神様の愛を知って喜び、その愛に感謝し、神様を愛するためです。このことを無視して自分の欲望を満たそうとしても、必ずソロモンと同じ「空しい」という結論になるのです。


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