十字架上の言葉

      「完了した」


紀元三十年ユダヤ暦での一月十三日(現在の太陽暦では四月上旬)、安息日前日の金曜日、エルサレム郊外のどくろの丘で、「完了した」という大きな叫び声が響きました。イエス・キリストが十字架の上で宣言されたこの時こそ、私たち罪人に、天国への門が開かれた瞬間でした。


神は、聖であり正しい方ですから、人間の犯した罪を激しく怒っておられます。神の怒りを宥めるには、どれだけ多くの涙も、善行も、献金も、宗教上の儀式も役に立ちません。神は、罪の代価としていのちを要求しておられます。もし私たちが自分のいのちを差し出すならば、火の池である地獄で終わることのない裁きを受けなくてはなりません。

しかし、処女を通してこの世界に来られた神の御子が、その無限の価値あるご自分のいのちを、宥めの捧げ物として父なる神に捧げてくださったのです。そして神の怒りを完全に宥めてくださったのです。そしてあなたが支払うべき罪の代価を完全に支払って下さったのです。


罪は借金のようです。もしあなたに絶対に返すことができない多額の借金があれば、きっと絶望することでしょう。ですが、誰かが代わりにその借金を全額返済してくれたならば、清算は無事終わります。同じように、あなたの払いきれない罪の負債を、イエス・キリストは、ご自分の血という代価で完全に払って下さったのです。

その宣言が「完了した」なのです。

しかもイエス様は死後三日目に肉体をもって復活され、贖いが完成したことをはっきりと示してくださいました。


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