聖書の信仰は理性的なものですが、ただ単に「分かった」というだけでは信じたとは言えません。 「分かる」というのは頭の問題ですが、「信じる」というのは心の問題だからです。 ある人は分かったと同時に心で信じます。しかし、ある人は分かっても心で信じ受け入れません。 それは、分かった後で信じるためにもう一つのことをしなくてはならないからです。それが「悔い改め」です。